天野秀昭先生の講演会に参加して

概要

 7月11日に開催された天野秀昭先生の講演会に、コットンおとなりさんプロジェクトの学生が参加しました。この講演会は、今年度から星野町公園でも始まった「きらきらプレイパーク」の開催運営にかかわるコットン・コミュニティ・タウンが開催しました。コロナウィルスの感染状況に鑑みZoomで開催されました。

天野秀昭先生とは

 1980 年に開設された日本で初めての常設の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」での活動に始まり、全国に遊びの意義と実際の遊び場づくりを広めようと、各地の遊び場づくりの動きを支援してきた立役者です。プレーリーダー養成のためのプログラムの開発・実施のほか、日本で初めての子ども専用の電話「せたがやチャイルドライン」の開設・普及にも携わってきました。また、職業としてのプレイワーカーを日本に根付かせるために、一般社団法人「日本プレイワーク協会」を立ち上げ、本格的な人材養成を進めています。

 さらに詳しく知りたい方は、こちらの天野さんのインタビュー記事を読んでみてください(http://oyamana.com/interview/amanohideaki01)。天野さんの理念や人柄が伝わると思います。これに加えてさらに天野さんを知りたいという方は『よみがえる子どもの輝く笑顔~遊びには自分を育て、癒す力がある~』を読んでみてください!

講演の感想

 プレーパークには、普通の公園、また、イベントとは異なる、いくつかの特徴がある。第一に、プレーパークは明確な対象者を設けていない。プレーパークは遊びの場であるが、子どもだけのための、というわけではなく、子ども主体の遊び場である。よって、訪れる人々は老若男女問わず様々であるそうだ。また、プレーパークに置いてある遊具は手作りである。子どもが興味を持てる、子どもがやってみたいと思えるような隙を作りながら制作する。時には子どもに参加してもらい遊具をゼロから作ることで、子どもたちは「プロセス」に触れることができる。ここで重要なのは、誰もが簡単に遊べるようには作っていない点だ。むしろ、その構造は、子どもの年齢や体格によっては遊ぶのが困難であるかもしれない。しかし、“平均的な子ども像”を想定せずに遊具を作ることで、子どもたちは自分に合った遊びを自ら見つけられる。危険か危険でないかを自分自身で判断できる。それ故、親の助けなしによく遊ぶ子どものほうが怪我をしないという。  
 さて、遊ぶことはなぜ重要なのか。一般解としては、想像力や社会性が身に付く、というものが想定される。しかし天野さんはより踏み込んだ答えを提示する。それは、「子どもが自分の世界、つまり生きているという実感のありかを作るため」というものだ。名詞化されると同時に定型化される「遊び」(鬼ごっこ、かくれんぼ)でなく、子どものやりたいという内なる気持ちから生まれる「遊ぶ」という自由な動作を天野さんは重視する。それは当然オンリーワンしかありえない。  
 今の子どもは「いい子」になるように育てられる。自然の中で五感を活用しながら予測不可能な刺激に囲まれて生活すべき子どもの成長を都市化は阻み、子どもを制御可能にしようと社会、そして親は奮闘する。例えば周りを見渡してみても、生命維持に必要不可欠な土が排除されている。土まみれの子どもを見て、「きたない」と親はシャワーを浴びるように促す。コンクリートに囲まれた現代社会で、私たちは少し潔癖になりすぎているのではないか、と気づかされる。あぶない、きたない、うるさい子どもを叱る、あるいは毛嫌いするのではなく、それが当たり前なのだと受け入れられるような社会にしていくことが求められていると感じる。  
 「子どもを育てる側の立場に立ってみよう。」というと、ある親とその子ども、という関係を思い浮かべるかもしれない。確かに親には自分の子どもを育てる責任がある。しかしながら天野さんは、「親は我が子以外に大事だと思える子どもを最低十人は持つべきだ」と指摘する。責任を軽くしようというのではない。むしろ皆を大切に想うことで、いざ自分が子育てに困ったときに頼れるほかの大人と繋がれるという点に重点がある。もしかすると親の中には、独力で、自分の子どもを育てられる親がいるかもしれない。しかし、自分だけで育てようと“してはいけない”のである。  
 思うように子育てがうまくいかない、子育ての場がない、行政が悪いと嘆くばかりではなく、一度「遊ぶ」ことの意義を振り返ることが今必要なことであろう。 

 自由に遊ぶことが大事だと考えている親も、いつの間にか「あぶない」から、「うるさい」から、「きたない」からやめなさいと口を出してしまうことはよくある。子どものためだったはずの助言や忠告は、いつの間にか子どもの遊び方などの自由を制限するだけでなく、子どもの価値観を狭めてしまう。しつけられた「きちんとした子ども」というイメージが子どもを自由な遊びから遠ざけている。これは子どもの問題というより、むしろ「理想的な子ども」や「親はかくあるべき」といったイメージが固定化された社会の問題であるように感じた。他人の目を気にする日本の社会では特に深刻な問題であろう。 
 親が、社会が、均質でないはずの唯一無二の子どもを世間的なイメージという枠に当てはめ、操り人形のように「遊ばせて」きたのが現在の状況である。子どもを社会の制度という型にはめて教育する。つまり子どもを予測・制御可能な状態にすることに親は心血を注いでいる。というより、社会に流されているため、その社会制度の功罪には意識が向かない。親には、子どもを育てる責任がある。しかし、「いい子」に育てるか否かはその親が決めることである。そのときに、自分の価値観に固執せず、子どもの「やってみたい」という声に耳を傾けることが重要だと考える。そのためには、子どもには親や先生以外の大人の存在が、親にも周囲の頼れる大人の存在が、必要であろう。 

まずプレイパークに参加することで、そこから親たちの何かが変わるかもしれません。 
見せてくださった写真の中で驚いたのは、泥遊びの写真です。そこまでできとは、考えていませんでした。また、子どもたちの創造力がすごいと思います。 
今後活動を計画するときは、もっと大胆的な計画を出しても大丈夫だと思えました。 

プレーパークの写真と天野さんの説明を通して、活動現場の状況を少し覗きました。子供が思う存分遊んでいる状態を見て、自分の子供時代のことを懐かしく思い出せました。また、クラスメイトとの話し合いで子どもの気持ちも思い出しました。天野さんの細かい視点からの分析と説明は、聴衆を子どもの世界に連れていき、理解を深めました。学生からの質問の返答も詳しく、子どもとプレーパークの問題だけではなく、成人になってから迷うことにも答えていただいて、大変勉強になりました。 

「生きていてよかったなぁと思うようになってほしい」「自分で判断した安全を超えることはない」などなど、今回の講演会で天野さんがおっしゃったたくさんの言葉が私に衝撃を与えました。大人たちは自分が思っていることを意識せずに子供に押し付けています。何が面白いのか、何が安全であるのか、子供であるとしても、判断することはできます。自分のやれる範囲内でやりたいことを思い切ってやることによって、面白さだけでなく、生きていることの素敵さも感じられます。これからは天野先生から今回伺ったプレイパークの魅力を多くの方々に伝わるように頑張りたいと思います。 

 プレイパークの世代間の交流は印象的でした。高校生などの大きな子供が幼稚園児などの小さいな子供と一緒に遊んで遊具を作ったり、ゲームなどをします。プレーパークは子供を育てるだけではなく、世代間の絆も築くことがわかりました。 
 「どうやって子供たちのやってみたいという気持ちを引き出すのか。」という質問に、天野さんは「プレーパークの素材や遊具などを利用して、できるだけ多い選択肢を子供たちに提供します。そして子供は完全に自由です。一緒に道具を作るとか、または破壊するとか、すべての行為が許されます。こういう自由な世界を子供たちに与えることで、子供自らやってみたいという気持ちを引き出します。」と答えてくださりました。

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